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城飼郡三十六所地蔵菩薩

きこうぐんさんじゅうろくしょじぞうぼさつ

日本のインテリア

・城飼郡とは《Wikipedia》
城東郡:古くは「城飼郡(きこうぐん)」と称した。藤原京跡より出土された。木簡には「城飼郡」と記されていた。平安時代後期から「城東郡」とも記されるようになり、近世以降は専ら「城東郡」の表記となった。・・・
城飼郡は現在の菊川市全地区、掛川市大東大須賀地区、御前崎市浜岡地区にあたる。

​・城飼郡三十六所地蔵菩薩霊場の始まりについての記録。

《おがさ風土記》
城飼三十六ヶ所地蔵尊霊場
享保20年(1735)度重なる天災も少々遠のき民心も少々落ち着きを見た頃のことである。丹野の豪農三橋四郎助は、古谷の富農名波忠左衛門と名波長兵衛の両氏と相談して、日頃信仰のあつい古谷の東林寺に祀られている延命地蔵を起点として、近郷三十六ヶ所の巡礼場を開き、民心を安らげようとしたのである。三十六か所に御詠歌の献額をして、自ら巡礼したのである。内小笠町の地蔵尊は、東林寺(古谷)、白畑堂(丹野)、正覚寺(川上)、竜泉庵(猿渡)、四足堂(高橋)、安興寺(赤土)、星谷(棚草)、須弥堂(平川)の八か所である。

《郷土史赤土》
十王堂:赤土石神484-1       
明歴4年(1658)仏生寺の境内に建立される。三郎兵衛建立。享保20年(1735)城東郡三十六ヶ所の札所として設定される。
願主:丹野村三橋四郎助 古谷村名波忠左衛門(同妻)古谷村名波長兵衛(同妻)古谷村渡辺三行(郎)棚草村春宝院  赤土村仏生寺和尚順胡坊
ご詠歌:けうこそは わがみもおなじ ほとけぞと うれしさまつる かんじぞうそん
ご本尊:延命地蔵菩薩尊  現在は安興寺本堂に祀られ、お祭りは8月15日 
赤堀三郎兵衛門中の方々でお祭りしている。

《丹野100年史》
白泉寺白畑堂(白畑地蔵)
この白畑地蔵は城飼郡巡礼三十三か所の内、第二番の札所であって、ご詠歌は、たなつもの まもるちかいは しらはたの みそのにながく しげるももぐさ
願主:丹野村三橋四郎助(輔) 古谷村名波忠左衛門同妻 同名波長兵衛同妻 同渡辺三行(郎) 棚草村春宝院 赤土村順胡坊仏生寺 古谷村東林庵

《郷土新聞》
「城飼郡三十六所地蔵菩薩」 青木喜代治氏の投稿 <1>~<40>あり、以下はこの記事より抜萃。

<1>2003(H15)2/21 享保の改革、享保17年(1732)大飢饉 一番古谷東林寺より三十六所 全行程120㎞ 東林寺にご詠歌の版木が残る。

<2>2003(H15)3/21 城飼とは「牛馬を飼う」の意味。その名残として牧之原、牛淵などが残る。東林寺には370年前の版木が残る。三十六ヶ所の札所名、三十六首のご詠歌、「願い人」6人と4寺が願主として刻まれている。

<3>2003(H15)4/18 一番札所 古谷山東林寺 延命地蔵菩薩 (古谷71)
「はなもみぢ いくよふるやの ひがしなる はやしのいおに きくのりのこえ」
古谷山東林寺は元亀元年(1570)の開基。本堂に向かって左、地蔵堂、木彫りの座像、金箔。  毎月24日縁日

<4>2003(H15)5/23 二番札所 丹野白畑堂 白畑地蔵堂菩薩(東泉庵は丹野426-1)
「たねつもの まもる誓いと 白畑の みどのにながく 繁るももくさ」
東林寺から北へ三キロの所にあった。現在は廃寺、跡地は水田になっている。白畑とは作物を作っていない畑の事。荒畑の呼称。寺院は廃寺となり、地蔵菩薩は行方不明。平成15年2月、丹野地区の石川陸雄氏の案内で東泉庵の観音堂内にあることが判明。自然石にタガネを入れて造形。石川こなみさんの案内で、白畑堂のあった場所を確認。

<5>2003(H15)6/13 三番札所 川上正覚寺 子育て地蔵菩薩  川上836
「咲くやこの 花の色香も 川上の ふかき恵みぞ 正覚の寺」
木彫の座像。身丈60cm。金粉塗装。 縁日は8月24日

<6>2003(H15)7/18 四番札所 高橋四足堂 刺抜き地蔵菩薩
「うち渡す この高橋の 恵みより 三つ瀬の川(三途の川)は 袖もぬらさじ」
堂宇は存在しない。森の中に堂宇の跡。石像 蓮華の台座と一体彫り。身丈2尺5寸 台座も含めて5尺  近所の松本君夫さんが守り。「四足堂」とは獣にまで及んだ釈尊の慈悲であろうか。

<7>2003(H15)9/12 五番札所 新野間蔵堂 まぐら地蔵尊
「よしあしと 言うはしばしの まぐらどう ひろき新野を 守りてやたつ」
松ケ谷から間蔵坂トンネルを抜けて篠ケ谷へ。右側の小高い丘の上に堂宇。木彫りの像 身丈3尺 台座を含め4尺 縁日は7月24日 福代雅之助さん守り

<8>2003(H15)10/17 六番札所 朝比奈亀蔵院 延命地蔵菩薩
「寺はかく 何も教えて ふでがやの 六つをかくせと きくぞ尊き」
間蔵堂から南へ2㌔ 左は山、右は田、下朝比奈公会堂を左に入ると坂本錦弘(さかもとかねひろ)宅  亀蔵院が廃寺になった後、いったん閑田院に預けられたが「元の在所に帰りたい」と訴えるため、村人が相談して、亀蔵院の跡地の一角、坂本さんの屋敷の東側に堂宇を建てた。 縁日は8月24日

<9>2003(H15)11/21 七番札所 朝比奈宮ヶ谷蔵福寺 ・・・地蔵菩薩
「もとめまつ 神谷はまもる 宮がやの 七つのたから 蔵におさめて」
六番から東へ1キロ 宮ヶ谷バス停 ここから北の山手へ200mに蔵福寺があった。地蔵菩薩の行方は不明。

<20>2004H16)11/26 七番札所 朝比奈宮ヶ谷蔵福寺 延命地蔵菩薩
「もとめ待つ かみやはまもる 宮の谷つ 七つの宝 蔵に納めて」
蔵福寺は廃寺 現在閑田院にある地蔵菩薩が、元蔵福寺にあったものと思われる。記録によると、山崩れで埋まりそうになった地蔵菩薩を、村人たちが熱田神社へ運び、それがふたたび閑田院へ移された。

<10>2003(H15)12/19 八番札所 比木宝珠寺 延命地蔵菩薩
「引き結ぶ 夏野の草の 露までも ひかり涼しき 如意の宝珠寺」
宝珠寺は正福寺の末寺で、廃寺となった。 現在は正福寺にある。本堂に向かって左側 別堂の中 厨子に入っている。木彫りと組子で半跏座像、身丈50cm

<11>2004(H16)2/20 九番札所 佐倉洗井堂 延命地蔵菩薩
「咲く花の 影さえ清く 洗井堂 彼岸の桜 見るぞ嬉しき」
正福寺から南へ6キロ  地蔵尊は二体ある。一体は台座を含めて高さ80cm、もう一体は60cm。昔は現在地の北東30mの丘の上にあった、堂守りも住んでいたが、安政元年の地震で倒壊、現在は洗井地区自治会で守っている。

<12>2004(H16)3/19 十番札所 来福永福寺 延命地蔵菩薩
「のちの世を すくうそでしの 浦風や すずしさながき 幸いの寺」
山門をくぐると、左側に地蔵堂。 六体の地蔵菩薩が安置される。延命地蔵は右から二体目。 石仏、台座を含めた身丈80cm 台座に享保二十年の年号

<13>2004(H16)4/16 十一番札所 藤塚十王堂 延命地蔵菩薩
「罪とがを とうの姿も 誓います 仏のゆかり 藤塚の里」
152号線を西へ6キロ、東大谷川を渡って200m、右側に高室山昌雲寺、十王堂は安政の大地震で崩壊。十王様と延命地蔵は昌雲寺に移された。本堂に向かって左側、小さな地蔵堂  この中に数体の石仏あり、しかしどれかは識別不可能。

<14>2004(H16)5/21 十二番札所 沖之須天徳山 地蔵菩薩
「漏れはせじ 沖の須崎に 曳く網も かかる仏の 遍つめぐみに」
天徳山の所在は不明。青峰山暘谷禅寺で護持する地蔵尊が、これと思われる。石仏で立像  70cm 地蔵尊の種類は不明。

<15>2004(H16)6/18 十三番札所 大渕如意庵 延命地蔵尊
「さわりなき 法のくるまや おおふちの こころの如く かげとむる月」
大須賀役場の南300m 無住の寺  龍眠寺の末寺 木彫の座像 身丈40cm

<16>2004(H16)7/23 十四番札所 西大淵龍眠寺 横須賀十王堂地蔵菩薩
「たちふさぐ 誓いに行きて 文も見し この世の罪を 問う君のくに」
横須賀十王堂は廃寺となり 本尊の十王仏、地蔵菩薩も平等山龍眠寺に移された。本堂の左手の地蔵堂内に安置されているが、沢山の地蔵像があり確定は困難

<17>2004(H16)8/27 十五番札所 東大坂高松庵 延命地蔵菩薩
「峰高く 松のいおりに きくことも くさのみのりに かよう導き」
龍眠寺から東へ7キロ 県道38号を500m 左の山あい。 福寿山高松庵、ご本尊が延命地蔵菩薩 木彫りの座像で身丈30cm 台座を含めて総高さ1m

<18>2004(H16)9/10 十六番札所 西大坂寺部堂 延命地蔵菩薩
「ここかしこ ふたせの恵み 寺のべの たうもぐせいに おふさかのにし」
西大坂寺部堂は 高松庵の北西1.5キロの長源庵という寺の境内にある。長源庵は貞永寺の末寺。 木彫の立像で身丈40cm 総高さ70cm

<19>2004(H16)10/15 十七番札所 土方峰の堂 六地蔵菩薩
「いつよりか 六つの御影を 萩原の あかいのみずに うつし初めけん」
県道38号北上 土方の道へ入る。郵便局を左折 小川を渡ると嶺向地区、新道と旧道の三叉路に立つ地蔵堂 この堂より西の山手一帯を萩原と呼ぶが「あかいの水」は地蔵菩薩にお供えする水、7月24日が縁日 春秋の彼岸の中日に供養する。身丈30cm立像

<21>2005(H17)1/1 十八番札所 高瀬八相寺 延命地蔵菩薩
「いとわめや 高瀬の波の たつとても 舟は八そう 舵はしやうとう」
県道38号高瀬の交叉点を左折して20m、左に入る。八相寺は無住の寺、本尊が延命地蔵  木彫りの座像 座高70cm

<22>2005(H17)2/25 十九番札所 岩滑谷口堂 延命地蔵菩薩
「まことなる 心に身をば いとわやめ 岩滑らけき 谷の口の堂」
八相寺から南へ3キロほど行った右側の山の中腹。 ご本尊は百年に二回の開帳。毎月25日にご詠歌を上げて供養。毎年7月23日の地蔵盆に地区総出の供養。

<23>2005(H17)3/25 二十番札所 下内田極楽寺 延命地蔵菩薩
「ことはりや ここはいなかべ ほうじゃうの みやこのたびに かどいでの寺」
極楽寺は廃寺。 現在は境内の跡地と、太子堂が残る。ご本尊の延命地蔵菩薩は太子堂のなかにある。身丈40cm 総高さ70cm

<24>2005(H18)4/22 二十一番札所 政所正覚寺 延命地蔵菩薩
「岩清水 流れはおなじ 正覚寺 西のたかねを 望む夕月」
正覚寺は現在無住。 本尊は本堂に安置。 木彫りの座像 全高1.2m

<25>2005(H17)5/27 二十二番札所 板沢竜谷寺青陀堂 延命地蔵菩薩
「森や里 通う人にや 青陀坂 岩間の水も 結ぶ縁と」
相良街道が城飼郡から佐野郡へ抜ける、険しい山道を、青陀峠という。青陀峠の登り口に建っていたが、明治17年、道路拡張工事で西へ300mの竜谷寺に移動した。本堂に向かって左側の地蔵堂に安置されている。本尊は木彫りの立像。身丈60cm総体金粉仕上げ

<26>2005(H17)6/24 二十三番札所 桶田宝住寺 延命地蔵菩薩
「今ぞ知る 如意の宝に 住む寺は とくさの福を 惜しまざるとは」
板沢竜谷寺から南東に約3キロ。桶田の印宗坊様と言われる宝住寺は、延命地蔵菩薩を本尊として、天正六年(1588)に開創された。最初のご本尊は火災にあい黒くなった。その後二世の本尊が作られて、二体並んで祀られている。

<27>2005(H17)7/29 二十四番札所 加茂持集庵 延命地蔵菩薩
「二世の福 集め保てる この庵は ぬしたれならん 観自在尊」
持集庵は廃寺。ご本尊は洞月院へ移された記録在り。洞月院須弥壇に安置された地蔵菩薩が延命地蔵と思われる。持集庵跡地は洞月院の北東1.5キロ、長池の山の台地にあり、「持集庵跡地」の石塔がある。

<28>2005(H17)9/2 二十五番札所 西方洞源院 六地蔵菩薩
「世の外や おくのみなもと かげ見えて くどくの水に 六つのみすがた」
伊達方トンネルの登り口の左側。元は本堂に向かって左側に元禄7年(1694)建立の地蔵堂に安置されていたものを、昭和後半、堂宇の傷みが進み、本堂須弥壇に移した。木彫りの像、身丈40cm

<29>2005(H17)10/7 二十六番札所 富田永泉寺 延命地蔵菩薩
「すずしさや 仏の恵み 富田山 ふもとにながき 世のいずみ寺」
西富田にあった永泉寺は今は廃寺。敷地址のみのこっている。

<30>2005(H17)12/2 二十七番札所 倉沢大慶庵 延命地蔵菩薩
「いのち延ぶ ためしもきくの 川しもや 名さえ大きに 慶びのいお」
岩澤商店の手前左折して、山手に登る。 昭和200年来無住寺となる。薬師堂と小堂がある。薬師堂は六十年毎の開帳。小堂の中に地蔵像がある。格子の中右側の像が延命地蔵と思われる。

<31>2006(H18)2/24 二十八番札所 吉沢西福寺 子授地蔵菩薩
「西の風 吹くを南に ながむれば 庭のもみじも しきそくぜくう」
吉沢山(きちたくさん)西福寺 ご本尊は子安観音菩薩。何時の頃か、地中より子授け地蔵が出現して、この寺にとどまり、ご本尊と共に信仰を集めている。現在は本堂のなかに安置。願掛けの掟がある。一、祈願は本人一人で行う。一、他人に知られてはならない。一、祈願の時刻は深夜に限られる。一、祈願の時、地蔵を荒縄で縛る。

<32>2006(H18)3/24   十九番札所 岩滑谷口堂(再)

<33>2006(H18)5/12 二十九番札所 本所十王堂 
「わがために おもえばとうと おそろしき ごうのはかりも はりのかがみも」
菊川駅より東700m  本所陰徳山陽法寺の境内  縁日は7月15日

<34>2006(H18)6/23 三十番札所 半済島の堂 延命地蔵菩薩
「今そこの 誓いの舟に 乗りえては 頼りの風を 待つ島の堂」
島の地区、村松巌さんの「島の観音縁起」の末尾に、昭和三十六年観音堂に祀られているご本尊が、観音菩薩ではなく地蔵菩薩ではないかの疑問発生。鑑定の結果、地蔵菩薩であることが確認された。これまで通り、観音堂としてお祀りしていく。ご本尊は木彫りの座像で身丈7寸、高さ1尺の台座。

<35>2006(H18)8/11 三十一番札所 神尾宝珠寺 延命地蔵
「ここのえの あまつ空みて 説く法の しるし左に もてる宝珠寺」
所在地は神尾(かんのお)大平、玉竜山宝珠寺は大平地区の西はずれ。開山は500年前、今は無人の寺。毎年春秋の彼岸に地区住民の当番制により開扉供養が行われている。ご本尊は木彫り座像、身丈1尺、台座が七層にも積み上げられている。過去に祈願の礼にと台座を寄進して、それが積み上がったと思われる。

<36>2006(H18)9/8 三十二番札所 横地三光寺 地菩願主菩薩
「月日星 三つの光と もろ人の 宇津の横地を 照らす 尊影」
横地城の下にあった延命寺、東泉寺、授福寺の三寺を、近くの興嶽寺の僧正が自ら開祖となって一つにまとめ、三光寺として開山したという古文書が存在する。三光寺は廃寺。 現在は横地城へ上る小道の登り口にある。

<37>2006(H18)10/27 三十三番札所 土橋林光寺 地蔵願主菩薩
「もののふに むすぶせむいの しるしとて 林も光る 法の旗鉾」
林光寺は興国寺の末寺。昔横地村土橋にあった。昭和19年の東南海地震で倒壊、その後本尊は興国寺に移された。古い書き物によると、本尊は土で作られた仏像で彩色されていた。山門へ向かって左側の古木の下にお堂があり、中に菩薩像ある。

<38>2006(H18)12/15 三十四番札所 平川志み堂 延命地蔵菩薩
「人ならぬ 人ののちまで かなうひの 誓いを聞けば 身にもしみ堂」
志味堂(しみどう)は延命地蔵菩薩をお祀りする御堂の名称であるとともにこの延命地蔵菩薩を護持している地区全体の呼び名ともなっている。地蔵菩薩は一般に地蔵堂の須弥壇の台座に座っておられるか、両開きの厨子の中に居られるが、この地蔵菩薩は大変手の込んだ精巧な細工を施した立派な堂宇に祀られている。木彫りの仏像で、台座に半座の形で座り、左足を床におろし、右手に錫杖、左手に宝珠を捧げ、身丈は座高で2尺、全高で3尺。

<39>2007(H19)2/16 三十五番札所 棚草星谷堂 延命地蔵菩薩
「とぶほたる 露もや甘き 棚草に おちてさながら ほしがや堂」
往年雲林寺の末寺として僧侶が常住するてらであった。昭和のはじめご本尊を雲林寺に移し消滅した。雲林寺の山門から急こう配の参道を100mほど登った所、本堂に向かって右側の小堂に祀られている。身丈3尺あまりの石仏。

<40>2007(H19)4/6 三十六番札所 赤土仏生寺 延命地蔵菩薩
「けうこそは 我が身もおなじ 仏ぞと 嬉しさ満る 観地蔵尊」
仏生寺は安興寺の末寺として赤土村石神にあって、ご本尊は延命地蔵と共に十王堂を擁していた。廃寺となり現在は墓石の並ぶ跡地が見られる。延命地蔵は安興寺に祀られている。木彫りの座像、座高2尺、台座を含め5尺。
《郷土史赤土》仏生寺 開創:延歴の頃 所在地:赤土石神484-1

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