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※菊川市内の歴史遺産に関するGoogleマップです。紙面のマップが必要な方は事務局までお問い合わせください。
浄土宗の開祖法然上人が恩師の皇園阿闍梨をしのび、天台宗の天岳院を浄土宗の應聲教院に改名。山門は静岡市の宝台院から移築され、昭和29年に国の重要文化財に指定。
黒田家は、永禄年間にこの地に移り住んだ武家で、高天神城開城後に帰農し平川村に住し、江戸時代には旗本本多氏の代官を勤めた。主屋と長屋門は国指定重要文化財。
虚空蔵堂には、行基作と伝えられる虚空蔵菩薩像が安置されている。節分祭は、明治時代の始めころから続くとされる行事で、平成9年(1997年)に旧小笠町民俗文化財に指定。
駿河国守護 今川義忠が遠江国人 横地、勝間田両氏を討伐。その帰途の夜、塩買坂で残党に襲われ今川義忠は討死。高天神城の戦いの際には武田方が塩買坂を利用したと伝わる。
武田方の高天神城を包囲するために徳川家康は高天神六砦 (小笠山砦、能ヶ坂砦、火ヶ峰砦、獅子ヶ鼻砦、中村砦、三井山砦) と呼ばれる付城を築城。
駿河国守護 今川義忠が遠江国人 横地、勝間田両氏を討伐。その帰途の夜、塩買坂で残党に襲われ今川義忠は討死。今川義忠を弔うために子の今川氏親が建立した曹洞宗の寺院。
「疫病鎮護」「水難除け」「厄除け」「縁結び」の神様として、遠州・駿河・三河地方から人々が参拝した。社殿の前に建つ鳥居は江戸時代後期の文政7年(1824)に建立された。
養老三年(719年)創建。栗田大蔵信麿が元正天皇のお許しを得て、河内国の誉田八幡から御神体を頂き、お祀りしたのが平尾八幡宮の起こり。
遠江国の有力国人領主 横地氏によって築かれ、東の城・中の城・西の城が山の尾根に沿って並ぶ「一城別郭」の城。
安興寺六角堂は、大工棟梁出野利八(3代目)が京都の六角堂を模し建立。毎年8月のお盆の1日に六角堂の観音像御開帳が行われる。
江戸時代から明治時代にかけて蒐集された美術品のほか、黒田家住宅の解体修理工事の写真パネル等を展示
市内の遺跡から出土した土器や石器などの遺物を、旧石器時代から江戸時代まで、時代ごとに展示