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虚空蔵山

KOKUZOSAN

虚空蔵山について

About

 永寿山福蔵院境内西の山頂には、寛永八年に再建された虚空蔵堂があり、行基作と伝えられる虚空蔵菩薩像が祀られている。節分祭は、明治時代の始めころから続くとされる行事で、平成9年(1997年)に小笠町民俗文化財に指定された。虚空蔵山と呼ばれ、地域住民に親しまれている。

【虚空蔵山の年歴】
・建保六年(1218)(順徳天皇の代)
 承久の乱以前に建立される。
・天正九年(1581)三月十八日 
 高天神城落城四日前に堂宇焼失。
・寛永八年(1631)
 堂宇が再建される。
・享保十年(1725)秋
 梵鐘が建立される。

・安永九年(1780)四月十七日

 相良藩主 田沼意次が虚空蔵堂で遠見をする。
・昭和三十年(1955)九月二十日
 梵鐘が再建される。

【小笠風土記P82】
<行基作虚空蔵菩薩>
高橋福蔵院の守護する虚空蔵堂に行基作と伝えられる虚空蔵菩薩像が安置されている。伝記によれば順徳天皇の建保六年夏、山中に光輝(こうき)あり、明煌(めいこう)遥かに望むべく日を経ていよいよ著しく、老幼婦女恐怖して夜門を出でず。豪気の農夫あり、衆を率いて光の元を探り、叢中の洞窟より一体の木造を掘り出す。
その何たるかを知らず、偶々(たまたま)老僧あり、拝して曰く。是虚空蔵菩薩にして、行基菩薩の正作なりと。是より信者の賽(さい)する者多く、霊験亦灼然(しゃくねん)たり。後に堂宇を建立し、毎月十三日を縁日とす。参詣者踵(きびす)を接し、商店軒を並べ市を成す。天正九年三月十八日、兵火の厄に罹(かか)り、林樹堂宇灰燼(かいじん)となりたれど、本尊は霊体依然たり。後、寛永八年九月十八日堂宇の再建成り以て今に至る。縁日の市場は常に繁盛を極めたり。信徒今なお遠方より参詣する者多し。

 

<江戸から船で来た虚空蔵様のお堂>

寛永年間に江戸で名工によって作られたもので、海路をはるばる相良の浜に陸揚げされたのである。相良や萩間方面の信者の奉仕により、馬や人の肩によって鬼女原を超えて運ばれたと云うことである。このお堂は、江戸にあったものを移築したものか、江戸で作られ、ここに新築したものかは明らかでない。古い建築様式をもつ飛坦垂木(飛坦垂木?->飛檐(ひえん)垂木、二重垂木の上段の垂木)の工法によるもので、旧小笠町としては最古の建築物で約三百六十年も昔のものである。建立の時の奉仕依頼、虚空像様と相良、榛原の人々は縁が深く、昭和初期頃までは縁日の参詣も、相良、榛原方面の信者で賑わったものである。

名称:福蔵院 (ふくぞういん)

山号:永寿山

宗派:曹洞宗

本尊:虚空蔵菩薩

創建:1574年

市指定無形民俗文化財 :虚空蔵山福蔵院節分祭

更新日: 2025/8/22

基本情報

Information

所在地

〒437-1505 静岡県菊川市高橋4816 (虎空蔵堂座標:北緯34度41分22.8秒 東経138度05分59.0"秒)

電話番号

開館日

駐車場

料金

公式URL

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