
塩買坂古戦場
Shiokaizaka Historic BattleField
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塩買坂古戦場について
応仁・文明の乱では、駿河守護 今川義忠の遠江侵攻に対し、横地・勝間田両氏は遠江守護 斯波義良に従い挙兵。文明7年 (1475)、狩野氏の館跡に城郭を構え挙兵した。横地・勝間田両氏は小夜の中山で堀越陸奥守貞延 (遠江今川氏) を討ち取った。文明8年 (1476)、今川義忠は横地城を攻め落とし、帰陣の途中、塩買坂で横地・勝間田氏の残党一揆に襲われ今川義忠は戦死した。※「今川記」による従来の通説では、西軍側だった遠江国守護 斯波義廉の家来だった横地・勝間田両氏を東軍側の今川義忠が滅ぼしたとあるが、 近年では、この時の遠江守護は東軍の斯波義良で、斯波義良に従った横地・勝間田両氏は室町幕府奉公衆だったため、今川義忠は幕府によって討伐されたとされる新説が有力であるようです。
【今川氏親と寿桂尼】今川義忠が戦死したことにより、今川氏内部で家督相続に関する争いが起こる。龍王丸派 (今川氏親) の瀬名、関口、新野と、小鹿範満 (義忠の従兄弟) 派の三浦、朝比奈に家中が分かれる。龍王丸と北川殿は駿河を追われ、山西の長谷川正宜のもとに身を隠した。北川殿は龍王丸を連れて丸子に住む。10年後、小鹿範満が家督代行から退かないため、伊勢新九郎盛時 (北条早雲)が範満を討ち、龍王丸を家督につける。寿桂尼は「死しても今川の守護たらん」という遺命により、駿河今川館の鬼門にある龍雲寺に埋葬された。
今川義忠の跡を継いだ今川氏親は父親が果たせなかった遠州を平定し、永正14年 (1517)、塩買坂に菩提寺(昌桂寺、のちの正林寺)を建立し、大樹師を住職として招いた。
【高天神城の戦い】元亀2年、武田信玄が塩買坂に陣を張り高天神城の様子を伺い、天正4年には武田勝頼が高天神城に兵糧を搬入するために出陣。武田勝頼は相良から海辺沿いに進み地頭方・佐倉を経て高天神城に進み、真田昌幸は兄真田信綱から受け継いだ軍勢を引き連れ、塩買坂を超えて高天神城に向かったと言われる。
掛川市ホームページ「高天神をめぐる戦い」
更新日: 2024/1/29
基本情報
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所在地
〒437-1505 静岡県菊川市高橋
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