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執筆者の写真Yuuki Koide

【どうする家康】築山殿と菊川市の遠い繋がり

更新日:2023年10月1日

こんにちは。大河ドラマ「どうする家康」では長篠・設楽原の戦いが終わり、築山殿事件のはじまりを思い起こす回が放送されました。築山殿事件は悲しい出来事ですが😢、今回の大河ドラマでは、今川氏一門の関口氏純(渡部篤郎)や、氏純の娘で徳川家康(松本潤)正室の築山殿(有村架純)他、今川氏に関係する人物のエピソードも多く描かれており、今川氏と関わりが深い静岡県民としても気になります😊


私達が住む菊川市も今川氏との関わりがあり、塩買坂で討死した今川義忠を弔うために子の今川氏親が建立した国源山正林寺や、今川氏真が地頭朝比奈孫十郎に命じて開設した今川用水(棚草用水)などがあり、今川家臣松井信薫によって築かれた堤城跡などがあります。また、今川義元が桶狭間の戦いに敗れた後、今川家臣三浦刑部が加茂村に移住し、加茂用水の築造に携わりました。


また、初代静岡県知事として数多くの功績を残した関口隆吉は関口氏純の子孫にあたり、明治3年に関口一家が遠江国城東郡月岡村(現在の菊川市月岡)に居住しました。(参考:関口隆吉の足跡と功績)


関口隆吉は幕臣 関口隆船(御前崎池宮神社出身)の次男として生まれ、幕末には旧幕臣として徳川幕府の戦後処理に尽力しました。明治維新後、静岡藩では開墾方頭取並を務め、山口県令や元老院議官を経て、静岡県令、県知事に就任しました。長男の関口壮吉は月岡で生まれ、浜松高等工業学校の初代校長を務めました。菊川市では月岡の住民による遺徳顕彰会が関口隆吉の顕彰活動を行っており、2020年1月にはJR菊川駅前に関口隆吉の銅像が建立されました。月岡には関口隆吉の妻、綾さんのお墓があり、遺徳顕彰会の皆さんが現在も守っています🙏


なお、浜松市中区の西来院には築山殿を祀る月窟廟がありますが、子孫にあたる関口隆吉が堂宇を建立したようです。


(参考:初代静岡県知事関口隆吉の一生、静岡藩ヒストリー、菊川市の城館周遊マップ他)





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