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執筆者の写真Yuuki Koide

【どうする家康】高天神城の戦い

更新日:2023年7月10日



こんにちは。大河ドラマ「どうする家康」の第20話では武田勝頼が遠江に攻め込む様子が描かれましたね👏


この頃、私たちが住む菊川市域(旧城東郡)でも、徳川氏と武田氏による高天神城を巡る戦いとの関わりがありました。1574年(天正2年)、徳川氏と武田氏による「第一次高天神城の戦い」では、徳川方の城主 小笠原信興が武田勝頼に敗れました。小笠原信興の家臣は徳川方についた西退組、武田方についた東退組に別れ、黒田義則や永田太郎左衛門などの侍は帰農し、現在の菊川市南部(旧小笠町)に住むようになりました。平田村に住んだ黒田義則の子孫は江戸時代に旗本本多家の代官を勤め、丹野村に住んだ永田太郎左衛門の家は横須賀藩主 井上正就の母の実家です。

静岡縣小笠郡誌によると、徳川二十将の大須賀康高が馬伏塚城を賜った際に、東照宮(徳川家康公)の上意によって城飼郡から城東郡に改めたと記載されています。普段から意識することは少ないかもしれませんが、菊川市も高天神城の攻防戦に関わりがあります。


大河ドラマでは、これから長篠・設楽原の合戦や信康・築山殿事件が描かれるかと思いますが、その後1581年に「第二次高天神城の戦い」が起こります。天正6年から天正8年頃にかけて徳川方が高天神城包囲網である城砦群を築城し、天正9年(1581)第二次高天神城の戦いで高天神城は落城しました。高天神城の戦いに関する城砦としては横須賀城高天神六砦が有名です。菊川市域(旧城東郡)では菊川市大石の獅子ヶ鼻砦が高天神六砦の一つとして築城され、横地城は徳川方の兵站基地や駐屯地として再利用されたようです。


(参考:東海の名城を歩く静岡編 中井均・加藤理文)


獅子ヶ鼻砦跡では、市観光協会が主催する「おひざもと市」が開催されますので、ぜひご参加ください😊


■日時:6月3日(土)・10日(土)・17日(土)午前9時~正午 ※荒天中止

■会場:蓮池公園(小菊荘(大石88)横)

■主催・問い合わせ:菊川市観光協会(0537-36-0201)


↓Googleマップで高天神城の戦いに関する城砦跡をまとめてみました。


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