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  • 執筆者の写真Yuuki Koide

安興寺六角堂

こんにちは。

菊川市赤土にある安興寺さんで現地研修を行いました🚶


本日は天気もよく、ご住職の楽しいお話を聞きながら散策し、楽しかったです😊

安興寺六角堂、六地蔵、薬師如来、金剛力士仁王像、山門、常不軽菩薩、十二支守本尊、延命地蔵菩薩、釜太夫横穴群遺跡等を見学しました。


安興寺六角堂は、大工棟梁出野利八(3代目)が京都の六角堂を模し建立しました。正面には聖観音像を安置しており、西国三十三番観音をともに祀ってあります。お堂の中心部の経蔵は360度回転する構造になっています。経蔵を回すことでお参りに来られた方だけでなく、周りの方々にもご利益が届くと言われています。三十三観音菩薩様はすべての人に救いの手が届きやすいようにと三十三体に姿を変えて、私たちに仏教の教えを説き救済してくれます。8月のお盆の1日に六角堂の観音像御開帳が行われます。


常不軽菩薩(たわし菩薩)は、仏様をたわしで擦ってお参りすると病気が治るということで、地元の人がよく利用しています。私も幼少期に利用したことがあります👏(よく効きます!)


享保20年(1735)、丹野の豪農三橋四郎助が古谷の富農名波忠左衛門と名波長兵衛と相談し、近郷三十六ヶ所の巡礼場「城飼郡三十六所地蔵菩薩」を開いたと伝わり、赤土の十王堂(赤土石神484-1)は札所の一つでした。ご本尊の延命地蔵菩薩尊は安興寺本堂に祀られています。


■安興寺(あんこうじ)

■山号 龍昌山

■宗派 曹洞宗

■本尊 釈迦牟尼

■所在地 静岡県菊川市赤土305-2


■安興寺の由緒(郷土史赤土より)

・安興寺は永正十一年(一五一四年) 三月、室町時代、鉄砲が日本に伝わった頃に、 赤土の住人であったという銀安道金居士という人(俗名不明)[いまは、開山堂の一番奥の開山様(初代住職)と、その両隣に歴代住職の御位牌が祭ってある、その向かって左に銀安道金居士の御位牌が祭ってある。]が掛川宿の、禅刹永江院の四代目の雪窓鳳積大和尚の徳風に強く帰依し、村の元寺家に草庵を構えたのがはじまりとされている。そして鳳積和尚を開山様に招じ、 二世に陽山是春大和尚をすえたのである。 それより三世、四世、五世目の朝国広寅和尚および七世大庵天広和尚の代になり、今までの所が敷地が狭くて何かと不便なため、現在地の道金ヶ谷三〇五の二番地に寺域が移されたようである。これが元和二年(一六一六年)でした。

・六世目駒州広天和尚の時に安興寺の末寺喜谷山安楽寺が出来る。そして駒州広天和尚が初代の住職になる。六世目の和尚の時に須々木の河村家の一統が安興寺の檀徒になる。「七世大庵元廣時に至り、元和中興既に六十余年、堂宇頗ぶる頽廃、元廣乃発奮、諸檀徒の協力を得、貞享年間に至り、本堂庫院を改築、衆寮山門新築面目を新にす」と記されている。 八世雪巌智峯和尚の時に釣鐘が出来た。これが元禄十五年(一 七〇二年)九月である。

・次に九世、十世、 十一世、 十二世は別に大きな事業もなく、 十三世の正運禅眼和尚の時に、三十三体の 観音菩薩を京都の仏匠某が新に彫刻、 卵塔に四角堂を建堂安置した。また大般若経六百巻を購入した。これが宝歴十年(一七六〇年)のことである。

・十四世金毛禅獅和尚の時に開山堂を新築。開山堂の天井には全部絵が画いてある。 この画は袴田多賀男家の数代前の画家田川が画筆を振るい画かれたものとのことである。時は天明四年(一七八四年) 八月十八日に竣工したことになる。

・十五世丹山禅鳳和尚の時に六角堂が完成し、これは寛政九年(一七九七年)十月、 千浜の出野利八(三代目)に京都市頂法寺の六角堂を見て造らせたという。

・十六世角成雪紋和尚の時に、四角堂に祀ってあった三十三体の観音菩薩を六角堂に移して御祀りしたと いうことで、時は文化二年(一八〇五年) 八月である。

・十七世久遠大柱和尚の時に山門が台風で倒壊した。 これが天保八年(一八三七年)のことである。

・十九世花萼源桃和尚の時に衆寮が安政の大地震で倒壊をしたとのことである。

・二十四世玉巌金鳳和尚の時に位牌堂が竣工した。これが昭和七年(一九三二年)である。

・二十五世一道真孝和尚、磐田郡豊田町の智恩斉の住職となる。 道喜和尚の兄弟子である。

・二十六世目は真隆道喜和尚で、昭和十九年(一九四四年) に戦争に協力し、釣鐘を供出した。

・昭和二十九年五月(一九五四年) 本堂、庫裡をトタンで包む、昭和三十一年四月 (一九五六年)六角堂 をトタンで包み、大修理をする。

・昭和五十二年(一九七七年) 卵塔に新しい墓地を作る。 昭和五十五年(一九八〇年) 山門が再建された。

・昭和五十八年十二月二十一日安興寺第二墓地完成。 四十五区画(道金ヶ谷三〇六一八)

・昭和六十一年十二月三十一日安興寺二十六世真隆道喜大和尚遷化す、七十一歳、昭和六十二年一月三日密葬。

・昭和六十二年十一月十五日安興寺二十七世安眞喜興和尚晋山式、二十六世真隆道喜大和尚本葬。

・平成元年十二月十日庫裡客殿完成七十八坪一部二階建て、十畳三間の客殿龍昌閣併設。同日、安興寺開山雪窓鳳積大和尚四百五十回遠忌供養も併修。

・平成二年十月三十一日安興寺第三墓地完成八十区画(道金谷三〇六十二〇)

・平成三年四月八日位牌堂改築(位牌段四段から五段に増設)。

・平成三年十月第三墓地階段参道工事完成。

・平成五年常不軽菩薩堂建設。



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