国指定重要文化財 応聲教院山門 修復工事
- Yuuki Koide
- 3 日前
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こんにちは。菊川市中内田の浄土宗寺院 応聲教院様で、国指定重要文化財の山門修復工事がはじまりました👷 今回、大正時代に行われた移築工事に関する棟札が見つかり、地元の郷土史家の方が調査しておりますが、工事中の現場を特別取材してきました。

応聲教院の山門は、静岡市葵区常磐町の宝台院様から譲り受けたもので、宝台院誌に「大正四年不動堂落成後、境内正面の総門を菊川町御門應聲教院に譲り」という記載があり、大正七年に応声教院への門の移築が完了したようです。宝台院は第2代将軍 徳川秀忠公の生母 西郷局 (お愛の方) のお墓があり、江戸時代は増上寺と共に徳川家の菩提寺でした。宝台院総門の建築を担当した大工棟梁の甲良豊後守は藤堂高虎と同郷で、日光東照宮や江戸城の建築に関わったようです。また、第15代将軍 徳川慶喜公が駿府で謹慎することになり、慶応4年7月から明治2年9月までの約1年間を宝台院で起居されました。
応聲教院山門修復工事の施工業者は飛鳥工務店で、令和7年に修復工事が始まり、令和9年12月に工事完了する予定のようです。菊川市内で最も由緒ある江戸時代の山門ですが、完成が楽しみですね😊
■応聲教院
■所在地 静岡県菊川市中内田915
■建立 斉衡二年(855)
■宗派 浄土宗
■御由来 比叡山の法主慈覚大師が、文徳天皇の勅願所(天皇の願いが叶うようにお祈りするお寺)として建てられ、当初は天台宗「天岳院」と称していた。嘉応元年(1169)、比叡山の皇円阿闍利が桜ヶ池に竜神入定。皇円阿闍利の弟子、法然上人により天台宗と浄土宗に改め、天岳院を松風霊山 護国本寺 応声教院と改称された。実に法然上人仏門、御開宗の三年目、御年45歳の時でありました。円光(法然)大師念仏道場、桜ヶ池真跡(奥之院)
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