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東遠江の名城 横地城跡と古刹 正林寺を歩く

  • 執筆者の写真: Yuuki Koide
    Yuuki Koide
  • 12 時間前
  • 読了時間: 4分

こんにちは。「天竜ふるさとガイドの会」の皆さまをお迎えし、横地城跡と正林寺をご案内させて頂きました。地元からも横地城跡運営協議会や観光協会の方々がご参加頂き、現地を歩きながら中世遠江の歴史談義で大いに盛り上がりました😊 


天竜二俣には菊川流域の武士に関する歴史があります。横地氏は南北朝時代には北朝方に属し、遠江・信濃の南朝方の連絡を遮断するため、井伊・天野氏と戦い、天竜川流域・佐久間地方や犬居・二俣などの地を四十年にわたって支配していたようです。横地太郎家長の家臣・二俣弾正近永の名が見え、横地氏の勢力が天竜川沿いまで及んでいたことがわかります。堤・二俣城主の松井氏も、もとは横地氏の家臣だったようです。

二俣は古くから交通の要衝で、戦国時代には徳川氏と武田氏が二俣城を奪い合う激戦地となりました。同じ遠江の武士たちが行き来した天竜と菊川の歴史の関係を調べてみたいです😊⛰️


◾️横地城跡について



遠江国の有力国人領主 横地(よこち/よこじ)氏によって15世紀中頃に築かれたと考えられる山城。牧之原台地の支脈から続く丘陵上に立地し、比高約100m、東西約400m、南北約450mに及ぶ広大な城域を持つ。「一城別郭」の城で、「東の城」「中の城」「西の城」をU字状に配置した縄張りとなっている。土塁や堀切などの遺構が残っており、東の城北側下方に腰曲輪、東の城から北西に伸びる尾根に堀切が設けられている。中世山城の雰囲気を色濃く残しており、国指定史跡になっている。


横地城の遺構について、中井均先生・加藤理文先生の著書「東海の名城を歩く」を参考にして説明しました。金須城の看板を北に進むと井戸跡がありますが、その左手に見どころの堀切があります。看板がありませんが、スルーしないようにご注意ください💦


なお、県道245号沿いに伝横地太郎家永の墓という看板がありますが、横地氏のものと思われる宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。奥横地公民館の近くにありますので、是非お参りしてください。


・伝横地太郎家永の墓 Google Map


*横地氏は鎌倉幕府御家人、室町幕府奉公衆を務めた東遠江の有力武士ですが、横地元貞は武田氏に仕え、その後徳川家康公に仕え子孫が旗本になりました。横地吉晴は後北条氏家臣で北条滅亡後に井伊直政の家臣になり、その子孫は彦根藩家老を努めました。横地吉信は後北条氏家臣で八王子城城代として豊臣軍と戦いました。


◾️藤谷神社について


社記によれば、当社は八幡太郎義家の願いにより、この地の横地城主・横地太郎家長の家臣である二俣弾正近永が奉行となり、承保元年申年(1074年)9月9日に南部春日大明神を藤谷山に勧請した。その後、応徳元年子年(1084年)に「藤谷大明神」と改称されたという。社殿には慶長6年(1601年)の棟札がある。


徳川家の時代には、朱印地として5石が与えられた。かつての境内地は約9町歩(約9ヘクタール)あったが、明治維新の際に朱印地が上知され、官林となり、現在は686坪の境内のみが残っている。明治初年には「藤谷神社」と改称された。記録によれば、藤谷明神社は朱印による神田5石を有し、神主の二俣氏によって中興されたという。社記には、「白河院の御代に、奈良春日大社を勧請し、横地太郎家長の時代であった」とある。横地家の系図には、「荒木七か村のうち横地村に、藤谷大神社を建立した」と記されている。


(参考:静岡縣小笠郡誌)


◾️正林寺について



応仁・文明の乱では、駿河守護 今川義忠の遠江侵攻に対し、横地・勝間田両氏は遠江守護 斯波義良に従い挙兵。文明7年 (1475)、狩野氏の館跡に城郭を構え挙兵した。横地・勝間田両氏は小夜の中山で堀越陸奥守貞延 (遠江今川氏) を討ち取った。文明8年 (1476)、今川義忠は横地城を攻め落とし、帰陣の途中、塩買坂で横地・勝間田氏の残党一揆に襲われ今川義忠は戦死した。​今川義忠の跡を継いだ今川氏親は父親が果たせなかった遠州を平定し、永正14年 (1517)、塩買坂に菩提寺(昌桂寺、のちの正林寺)を建立し、大樹師を住職として招いた。


現在、正林寺には、今川義忠公廟と五輪塔や十八人の家臣を祀る「今川忠臣之墓」があり、正林寺に所蔵されている寿桂尼画像、今川義忠木像は市指定文化財です。静岡市歴史博物館に寿桂尼画像と今川義忠木像のレプリカが展示されています。 ゆうきまさみ先生の歴史漫画「新九郎、疾る!」には今川義忠と横地・勝間田氏の合戦シーンが少しだけ描かれていますが、塩買坂古戦場での合戦かと思われます。


伝横地太郎家永の墓 (宝篋印塔)
伝横地太郎家永の墓 (宝篋印塔)


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